2023年11月23日木曜日

FGOのドブルイニャ・ニキチッチについて考察

よく外れるFGO考察、3つ目となります。
今回はドブルイニャ・ニキチッチを、名前以外の観点からも考察してみます。
まずは発表時のイラストレーターさんのTweetから。


なお、2022年以降ウクライナの地名などについてウクライナ語に近い仮名表記とする媒体が増えていますが、この記事では以下の基準で表記します。
  • 現在のウクライナの地名など:ウクライナ語に近い仮名表記(例:キーウ)
  • 歴史上の地名など:よく使われる仮名表記(例:キエフ・ルーシ、キエフ大公)

1. 「ニキチッチ」って名字じゃなくない?

まあ、最初は名前から入るんですけどね。
FGOでは「ドブルイニャ・ニキチッチ」、Wikipediaのページ名は「ドブルィニャ・ニキーティチ」、著者や訳者によってはそれ以外の仮名表記もあります。

1.1. 作中などにおける扱いと俺の考察

ツングースカ・サンクチュアリにて主人公が「ニキチッチさん」と呼んだり、伊吹童子が「ニキチ」と呼んだり、ニキチッチが名字という解釈のようです。
pixiv百科事典では姓の「ニキチッチ」という記載があり、名字と断言しています。
ですが、俺はニキチッチは名字ではないと考えます。
まずは手がかりとしてニキチッチという言葉の意味とスラブ系の人名を調べてみます。

1.2. ニキチッチの意味

スラブの男性名「ニキータ」をご存じの方は多いでしょう。
ソ連の政治家ニキータ・フルシチョフが最も有名ですかね。
ニキチッチ(Никитич)はニキータ(Никита)の父称で男性に使われるものです。
なので「ニキータの息子」ってことになりますね。

1.3. スラブ系の人名

父称がそのまま名字になるというのは色々なところで起きています。英語の○○ソンとかスコットランドのマク○○とかですね。
スラブ系でも父称が名字になっています。
『トリビアの泉』で取り上げられたことですが、サッカーのユーゴスラビア代表でスタメン11人のうち10人が○○ビッチという名字だった、ということが起きるくらいポピュラーなのでしょう。
ですがスラブでは名字と独立した父称が今でも生きています。
前述のニキータ・フルシチョフにはセルゲイという息子がおり、そのフルネームは「セルゲイ・ニキーティチ・フルシチョフ」となります。

1.4. ニキチッチも父称が名字になったものじゃないの?

父称が名字になる前の時代につけられた名前であるというのが俺の考えです。
それを補強するための手がかりがほしいのですが、ブィリーナが成立した時代には諸説あるようです。
10~13世紀にまとまった、もっと前に古い形が存在していた、13~15世紀に生み出されたと考えられる話があるetc...
まずはドブルイニャ・ニキチッチのモデルになったという説のある人物の時代に焦点を当てて考えます。
その人物の名前はドブルイニャ・マルコヴィッチ、生年は不詳で1007年に没したとされています。
このドブルイニャ・マルコヴィッチは以下のような人物です。
  • キエフ大公ウラジーミル1世のおじ(ウラジーミル1世の母マルーシャの兄弟)
  • ウラジーミル1世の教師
  • ウラジーミル1世の父であるスヴャトスラフ1世に仕えたヴォイヴォダ(軍司令官、ウォーロード)
キエフ大公ウラジーミル1世はブィリーナにおける太陽公ウラジーミルのモデルという説もある人物です。
ドブルイニャ・マルコヴィッチの父親はマル(またはマルク)という名前で、マルコヴィッチはその父称ですね。
そしてドブルイニャ・マルコヴィッチの息子はコンスタンティン・ドブルイニチといい、ドブルイニャが父称になっています。
また、ウラジーミル1世の名前は「ウラジーミル・スヴャトスラヴィチ」と伝わり、スヴャトスラフ1世の名前が父称になっています。
なので、モデルになった人物の時代には名字を持たなかった、あるいは持っていても使わなかった、と考えられます。
個人ブログではありますが「リューリク朝では姓を名乗らなかった」という記述も見つかります。
リューリク朝はキエフ大公国などを統治した君主の家系であり、スヴャトスラフ1世もウラジーミル1世もリューリク朝のキエフ大公です。

さらにキエフ大公国と同じくリューリク朝の国家であるハールィチ・ヴォルィーニ大公国でも、初代から4代目までの君主は以下となります。
  • ロマン・ムスチスラヴィチ(父:ムスチスラフ)
  • ダニロ・ロマノヴィチ(父:ロマン・ムスチスラヴィチ)
  • ヴァシリコ・ロマノヴィチ(父:ロマン・ムスチスラヴィチ)
  • レーヴ・ダニロヴィチ(父:ダニロ・ロマノヴィチ)
ロマンがハールィチ公となりハールィチ・ヴォルィーニ大公国が成立したのが1199年、レーヴが大公となったのが1264年です。
なお、この間の1240年にキエフ大公国が崩壊しています。
1015年にウラジーミル1世が没してから200年以上経っていますが、やはり名字は伝わっていません。
キエフ大公国の時代にブィリーナがまとまったという説を取るならば、その後になっても名字を持たないか使っていないということになります。
以上のことから、ブィリーナの「ドブルイニャ・ニキチッチ」は名字を持たないor使わない時代につけられた名前である、と考えます。

なお、気になったのでロマノフ朝が「ロマノフ」を名乗るようになったのはいつごろかも調べてみました。
これはミハイル・ロマノフの父の時代で、ミハイルの祖父ニキータが没した後、その息子たちが「ロマノフ」という姓を名乗りだしたそうです。
ニキータは1586年没で、ミハイルの戴冠が1613年なので、皇帝になる数十年前にできた家名ってことになりますね。新しくてびっくりした。

2. 女性である理由

原典のドブルイニャ・ニキチッチは男性です。
しかしFGOのドブルイニャ・ニキチッチは女性です。

2.1. 作中における扱いと俺の考察

作中において3つの仮説が立てられています。
  • 伝説と過去の現実が食い違っていた
  • ズメイ(竜)の影響を受けた
  • 妻ナスターシアが現界している
俺の説は3つ目に近いのですが、「ドブルイニャ・ニキチッチと妻ナスターシア・ミクリーシュナの要素を併せ持っている」です。

2.2. 俺の考察の根拠

FGOのドブルイニャ・ニキチッチはブィリーナの勇士(ボガトゥイリ)の要素の集合体であり、その中の1人であるドブルイニャの名前を名乗っていると考えるためです。
これは3つ目の「ケモミミの理由」にも関連します。

3. ケモミミの理由

なぜか猫っぽい耳と尻尾がついてますよね。
これも原典にはない要素です。

3.1. 作中などにおける扱いと俺の考察

作中では言及されてないんですよね。
どこかでドブルイ「ニャ」だから猫、なんていうのを見た記憶もありますが、さすがに軽すぎるんじゃないかなと思います。
俺の説は「ブィリーナの勇士ヴォルフ・フセスラヴィエヴィチの要素」です。

3.2. ヴォルフ・フセスラヴィエヴィチ

ブィリーナはウラジーミル公とイリヤー・ムーロメツ、ドブルイニャ・ニキチッチ、アリョーシャ・ポポーヴィチらの時代の物語が多いそうです。
ですが、それ以外の時代が舞台となっている物語もあります。
その時代に登場する人物の1人がヴォルフ・フセスラヴィエヴィチです。
ヴォルフの母はキエフ公女マルファ・フセスラヴィエヴナ、父はズメイです。
散歩をしていたマルファが誤ってズメイの尻尾を踏んでしまい、ズメイがマルファの太ももを尻尾で叩いて妊娠した、という場面があります。
人とズメイの間に子が生まれるというのはブィリーナに限らずスラブの伝承にある話らしく、そのような存在はズメーイェヴィチと呼ばれます。
ズメーイェヴィチは超常的な力を持つものが多く、ヴォルフは動物(特に狼や鷹)に変身する能力を持っていました。
ヴォルフはこの力を使って活躍します。
そこそこ詳しく書かれた本を読んだ記憶があるのですが、タイトルも思い出せないという体たらくなので情報があれば提供いただけると助かります。
ちなみに、「狼になれるからヴォルフってドイツ語かよ」という突っ込みもあるでしょうが、これはволхв(魔術師)から転じた名前であるというのが有力だそうです。

3.3. ヴォルフ・フセスラヴィエヴィチは猫(科の動物)になれるのか

正直全くわかりません。
ヴォルフは生まれつき変身能力を持っていたわけではなく、10歳のころから変身能力を学び始め、最初に鷹に、次に狼に、その次に金色の角を持つオーロックスに変身できるようになりました。
この描写をそのまま解釈するなら、学んだことのない生き物には変身できないということになりそうですね。
そもそもネコ科の動物がいたのかという点で考えると、ブィリーナの時代には現在のキーウのあたりにもヨーロッパヤマネコが生息していたようです。
必要があればヨーロッパヤマネコに変身する能力も学んだ、とは思いますが、どうでしょうか。

まとめ

  • ドブルイニャ・ニキチッチはファーストネームとラストネームではなく、ファーストネームと父称である
  • FGOのドブルイニャ・ニキチッチはブィリーナの勇士の集合体である
  • 女性の姿はドブルイニャの妻のナスターシアに由来する
  • ケモ耳と尻尾はヴォルフ・フセスラヴィエヴィチに由来する
果たしてこれらが明かされる日は来るんでしょうか?


今日の1曲: